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ハセ@日経新聞 その2

ハセの日経夕刊記事、2日目です。
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日経新聞夕刊 スポーツ面(21面)   2007.11.20(火)
駆ける魂  浦和レッズ 長谷部 誠 (中)

半信半疑だったプロの誘い 辛苦バネに燃える闘志

 藤枝東高(静岡)サッカー部監督の服部康雄は、1、2年時の長谷部誠のプレーぶりを鮮明には思い出せないという。「全くの無名選手として入ってきて、60人近い選手の中の『その他大勢』という感じだった。何か飛び抜けたものを持っていた選手ではない」
 成岡翔、大井健太郎(ともに磐田)のいる1学年下のメンバーが注目されていたとき。長谷部は2年時から主に4-4-2の右MFで試合に出始めたが、主力ではなかった。
 そんな長谷部にプロから誘いがかかった。浦和のスカウト、宮崎義正(現強化本部スカウト部長)が「面白い選手がいる」との情報を得て、長谷部が2年の一月に視察。宮崎は振り返る。「目に付いたのはトラップの正確さ。特に右足の技術がしっかりしていて、アウトサイドであれっと思わせるパスを出す。そして、するすると抜いていくドリブル」。すぐに気に入り、獲得に向けて動いた。
 服部は「プロでは無理でしょう」と宮崎に答えた。長谷部自身も半信半疑だったという。何しろ「プロを意識したことはなかった」。だが、3年になって「試合をこなすうちにぐんぐん伸びていく」のが服部にはわかった。トップ下のポジションを獲得し、夏のインターハイでは準優勝。自信を膨らませた長谷部は、進学を勧める両親の反対を押し切り浦和入りした。
 道を切り開いていけるかどうかは、巡り合わせにも左右される。二〇〇二年、浦和の監督にはハンス・オフトが就任していた。クラブは低迷するチームを土台から築き直そうとしており、オフトは若い力を育てようという意欲に満ちていた。長谷部をリーグ戦では起用しなかったが、17人目の選手としてアウェーにも帯同させた。そして2年目からポジションを与える。
 代表クラスがひしめき、リーグ随一の強豪となった今の浦和だったら、こうも簡単にチャンスはつかめなかったはず。運に恵まれた。だが、運だけでプロの世界を勝ち抜けはしない。無名選手が道を切り開けた要因を探っていくと、甘いマスクの裏で燃え盛る闘志、執念深さに行き着く。

 加入1年目の三月、サテライト(二軍)の初戦に長谷部は両親を呼んでいた。だが出番はなかった。現場から「長谷部が落ち込んでいる」と伝え聞いた宮崎は出張先から浦和の事務所に電話を入れた。心配した強化部の落合弘(現浦和ハートフルクラブ・キャプテン)が寮に駆けつけたが姿がない。グラウンドに行ってみると、18歳の新人選手は一人黙々とボールをけっていた。
 辛苦をバネにする。それも一つの才能だろう。シエナ(イタリア)への移籍話が持ち上がった今夏、クラブ幹部は「いまのままで海外に行っても、通用しないだろう」と反対した。親心を示したつもりだが、長谷部はカチンときた。
 「そういうことがあると燃えちゃうタイプなんです」。3アシストの千葉戦(10月20日)、同点ゴールを決めたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の城南戦(同24日)など秋以降の充実は、そのやりとりと少なからず関係している。長谷部にはわかっている。たたかれようが、うなだれている暇はない。

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